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慢性的にあった、つまり6カ月以上続いていた筋骨格系症状が減ってくるとある種の「喪失感」が生まれることについて書きます。
この「喪失感」についてはエビデンスはなく、そのまんまサンシャインで観察して考察して得た一意見です。痛みを本当にとっていきたい方の参考になれば幸いです。
この記事を読んでいる方は恐らく慢性症状に長年悩まされている方だと思います。そして何か良い治療法はないかと悩んでいる方ではないでしょうか。
そのような方は慢性痛を取っていくことの困難さを充分理解されていると思います。
間違いなく言えることは症状と記憶は密接に関係しています。持っている症状の期間が長ければ、簡単に取れて行かないものです。その痛みを抱えて生きてきたわけですし、痛みを作り出す動きも生活の一部だからです。
本来は地道なリハビリテーションを続けて新しい動きを会得しながら、徐々に痛みと折り合いをつけるていきます。(もちろんそれでも痛みに変化が無い場合も少なくないです)
マイオセラピーを利用する場合、それらのにまつわる記憶や筋が覚えている感情も緩め、強引に取り去っていくことになります。
慢性的な症状が無くなると、そこにぽっかり穴が空いたような空虚な感覚になることがあります。
他の事でもそうですが、今まで当たり前のようにあった物、事、人などが突然なくなったり居なくなったりすると出てくるあの感覚です。
長年痛みがることでバランスを取っていたわけですから、痛みが減ってくると不安定になりますし、痛みが有ることに慣れているので、無意識でまた痛みを求める傾向になります。
筋肉に記憶があるのではないか?という話は、施術者同士での会話にたまに出てきます。エビデンスはないのですが、少しずつそれに関連する研究が行われるようになってきています。
「骨格筋はある種の記憶を保持している可能性がある」という現象は、以前に訓練を受けた個人が再訓練するとより早く筋肉量と筋力を獲得することを示す人間の観察に由来します。しかし明確なコンセンサスは得られておらず、痛みに記憶に関する研究は未だ無い。
Snijders T, Aussieker T, Holwerda A, Parise G, van Loon LJC, Verdijk LB. The concept of skeletal muscle memory: Evidence from animal and human studies. Acta Physiol (Oxf). 2020 Jul;229(3):e13465. doi: 10.1111/apha.13465. Epub 2020 Apr 3. PMID: 32175681; PMCID: PMC7317456.
痛み記憶も持っているという研究はまだ出てきていないですが、臨床経験上痛みが取れてくると物足りない感じというか、落ち着かない感じが少なからずあるのではないかと私は感じています。
ですから慢性症状の方の症状が無くなっていったときに、この空虚感に耐えられなかったり、不安感を覚えるようなことになると、元あった症状のキツイ状態に戻ろうとします。体も心もそうです。
症状が無くなるという「喪失感」はふとした時に感じられます。簡単に言えば今まで「あ~肩こりが酷いなあ」と考いた時間が今まで多くあった訳ですが、それが極端に減ってくると「喪失感」や「空虚感」が生まれます。
ポッカリと空いてしまった身体感覚は、今までしていなかった行動を選択する絶好の機会ですから、思い切ってトライされることをお勧めします。
慢性痛が社会的な要因で起きているという可能性が高いというエビデンスからも考えられることですが、慢性的な痛みは社会的状況を不利にする行動そのものである可能性があります。
あくまでも仮説ですが、少しずつでいいので新しいことを始めてみる良い機会です。それは新しい生活を創造していくことそのものです。
カイロプラクティックの構成要素のひとつに「芸術」があります。上手くなくていいから、痛みのない真っ白なキャンバスに新しい日常を思い切り創造していくことが大切です。
生理学的に考えると今まで、筋膜なり筋硬結なりから上行していた痛みなり深いの神経入力が減ってくるわけで、その神経入力を意識していたにせよ、していなかったにせよ意識を形成していた身体からの信号が減ってくるわけですから、意識の状態が変わってきます。
症状が無くなって肩や腰が楽になる反面、今までずっとあった症状、物、事、感覚が無くなるわけですから喪失感が出てくることがあります。
この部分は社会的な痛みとも関連しているのですが、社会的な痛みというのは経済格差など社会的弱者が痛みを出しやすいとされている部分で、観察するに疼痛行動が身についているとも言えます。
脳は,感覚器官から入力される刺激に受動的に反応しているのではなく,これから入力される刺激を予測する内的モデルを構成し,それによる予測と入力された感覚信号を比較し,両者のずれ(予測誤差:prediction error)の計算に基づいて,知覚を能動的に創発していると考えられる。
こうした脳の働きを予測的符号化と呼ぶ
(Friston, 2010; Friston, Kilner,& Harrison, 2006) https://www.jstage.jst.go.jp/article/ems/3/1/3_ES3-0002/_pdf より
ある程度リハビリテーションができていないと、脳自体が痛みを創ってしまいます。
人生には無くしてから(大切だった?)気づくこともあります。
症状が大切だったとは言いませんが、振り返ってみて「あいつ嫌な奴だったけど居ないと寂しいもんだなあ」というような感覚でしょうか。
苦手な先生が言っていた事。後々になって意味が解る。
私も学生時代はさんざん苦い思いをしました。けど何年かすると解かってくる。
このことは大病を患って回復した人が良く言います。肩こりや腰痛でも同じようなことだと私は思います。
なんでもそうですが、いままでずっと当たり前のように有った事が、ぽっかり無くなるのですから何か空虚な部分が出てくるのです。
こういう喪失感心理状態は「認知行動療法」で理詰めで症状を見えなくしていくときには起こりません。
症状と行動が伴っていたのを納得して行動変容を自主的にさせていくからです。
カイロプラクティックの構成要素の一つに「哲学」があります。真っ白なキャンバスの上でカイロプラクティックを考えた場合私の場合は2016年時点でこのような考え方になっています。
この「哲学がある」という部分もカイロプラクティックの面白いところだよ、と先輩がかつて良く教えてくれました。そしてこのような文章をホームページという場で表現することも私自身にとっての快復の一つだと考えます。