インターネットの広がりとともに世界的に地域社会の崩壊が指摘されています。みなさんの周囲を見渡しても「地域社会」に帰属している感覚が強い人は少ないのではないでしょうか?
東京品川区でも基本的には繋がりは希薄ですが、お祭りの時にお神輿を担ぐ方々はとても一体感があるように見えます。最近は氏神様である「蛇窪神社」のイベントで地域の方々が何だかんだで話題にするので、同じ地域に住んでいるんだという感覚が醸成されつつあります。
とはいえ困った時にあの人に頼ろうとか、あの案件はこの人に聞いてみようという人的資本家は多くはないでしょう。その代わりにNISAで経済資本を増やそうという思考になっていると思います。
ただ健康面をみればバランスよく人的資本も構築しておいたほうが良いかもしれません。
助け合いの媒体
人とのつながりが、健康にどのような影響があるか考えるシンポジウムが開かれたようです。
東大大学院医学系研究科の近藤尚己准教授は、誰もが役割を持っていると自覚できる仕組みや仕掛けの重要性を説いている。
約7000人の対象者の社会的ネットワークの量(友人・知人・家族の数、交流頻度、教会や地域活動に参加しているかなど)を測定し、長期間追跡調査した結果、つながりが最も少ない人の死亡率は、最も多い人よりも2―3倍という結果だそうです。
これ得意な方とそうでない方がありますよね。私は仕事上いろいろな方とお話させて頂いていますが、個人的につながりを広げようとか、交流会に参加してみようとかいわゆるグイグイいくタイプではないです。
なので一般的にいえば知り合いや友達は少ないほうだと思います。それでも心がけていることはお声がけがあれば予定が入っていなければ顔を出すようにする、という態度です。
そうすると思いもよらない出会いやイベントに遭遇して楽しいものです。最近ですと以前は全然考えもしなかった合唱グループに所属するようになってしまいました。以前は「ダッサいよなあオジサンの合唱なんて」と思っていましたが、ハマってしまいました。判らないもんですね、人生なんて。
人とのつながりがなぜ健康にいい影響を及ぼすのか
近藤氏は、「理屈的に言うと、ネットワークは助け合いの媒体。(身体的・精神的な)サポートをくれる人がたくさんいる人ほど、心筋梗塞のような致死的な疾患からの回復が早かったというデータもある」と解説。
一方で、「過剰にサポートを受け過ぎると自分が役に立っているという感覚を失ってしまう。サポートを受けるだけでなく、与えることが日々の活力になり、心も体も維持できることが分かっている」と話した。
また、町づくりなどでの人とのつながりを増やそうとする取り組みは、気を付けなければ、「仲間はずれ」を生み出し、健康格差を広げてしまう懸念もあると指摘した。(島村友太 氏報告)
力まずにその場にいられれば、こころも楽になってくるのでしょうね。私はお祭り関係は上記の仲間外れが怖いので顔を出していません。私のMBTIは INTPですから、こうやって興味あることを分析してアイデアを出したり、記事を書いたりしているほうが本能的に楽しいです。
ボランティア 情けは人の為ならずの科学的説明
上記の研究でもあるようにサポートをする側、手助けをすることが、自らの負のストレスを減らす聖書のこのような言葉があるそうです。
(1ペテロ4:11)あなたが他者を助ける時、主はあなたの人生に恵みを増し加え続け、もっと素晴らしい勝利と成功の人生になるよう守ってくださいます。
科学的にこのような研究が出てくることは、個人的にはとっても面白い。
宗教の教えに利他的な行いを勧めているとおもいますが、科学的に見ていっても、そのような結果になるようです。(Prosocial Behavior Mitigates the Negative Effects of Stress in Everyday Lifeより)
不浄な善行
ただ最近読んでいる「手段からの解放」國分功一朗著の中でカント哲学が解説されていて、目的を持った善行は、能力の低次の実現とされ、間接的に善いものとされています。
カント的には不浄な善行ですが、私には綺麗な心は少ないから仕方ないと諦めて、人助けをしようという気持ちで割り切っています。
知人や友達助けは日常のストレスを減らす
米国エール大学からの研究報告。情けは人のためならずと良く言います。誰かを助けることが自身のストレスを軽減することが科学的に証明されてきています。
日々の多くのストレスにより、私達の健康は脅かされている中でこの研究は「誰かを手助けすることが、自分自身のストレスを軽減する」ことを明らかにした。
例えば、クリスマス休暇が大きなストレスとなる場合がある。その時、助けを必要としている他人を支援することで、結果的にあなた自身の気持ちが少し良くなるのである と
エール大学医学部の研究著者であるエミリー・アンセル氏は述べている。
何らかの援助行為を行った者は1日の幸福感が高まった。
そして援助行動が普段より少なかった者のストレスが多い日の感情は、積極性が減り、負の感情が増していた。
一方で、援助行為をよく行う者は、感情や精神的健康が保たれており、負の感情の増加が抑えられた。言い換えると、援助行為は健康のストレスの負の感情を緩衝するようだった。
「驚いたことは、この効果が日常経験のすべてにおいて一貫していたことである」とアンセル氏は述べている。
「例えば、ストレスの多い日に援助行為をした場合、日常の精神的な健康状態や積極性に対して、ストレスの影響をほとんど受けなかった。」
人助けをしている方々の方が、生き生きした人生を送っている。この部分はどれだけ生活が豊かになって物質的に恵まれていたとしても、人間として生きている限り変わらないとろこでしょう。
手助けの仕方もいろいろあります。電車で席を譲ったり、ちょっと高いけど近所の商店でお買い物をしたり、道案内をしてあげたりとほんの少しの行動が、自分の負のストレスを下げるようです。
カントとカンジの差
先ほどカント哲学に少し触れました。國分先生もこの本の中で、「西洋哲学において」と冒頭ご説明があります。
上記の善行についてTMSジャパンの長谷川淳史先生に教えてもらったこと。これは腰痛のセルフケアの話の中で出てきたお話です。
脳内麻薬の分泌
腰痛のセルフケアとして行動療法の観点から、どのような行いが脳内麻薬を減らすのか?というお話でした。頂いた古いプリントですが有用ですので掲載します。

この表によれば他人に親切にしたり、ボランティア活動に参加する行為は鎮痛効果が高いのです。私も若いときは自分の為に善き行いをするのは汚いと感じていたのですが、私たちの日常使いの「漢字」はその答えが一文字で表されているというのです。
それは「偽」
だれか人の為に行うことは「いつわり」だと漢字は示しています。これを知った時に私はとても楽になりました。なので遠慮なく不浄な善行を行っているのですが、カントの考察も無視はできません。
カント的には「快・端的に善いもの」について論じているのであって、設定された目的にとって手段として有用なもの、は低次の欲求能力の実現だそうです。言われてみれば確かに人の為に自分が気持ち良くなくても行う善行は崇高で、それこそ「愛」なのだと言えます。
そうは言っても何も行動できないよりは行動した方が良いですから「情けは人のためならず」精神でどんどん手助けをすると、楽しい人生が展開していくのでしょう。









