先日VIDEOnewsのコンテンツで【間違いだらけの水害対策】というものがあった。
水文学の専門家で京都大学名誉教授の谷誠先生から考え方を教えてもらった。当然昨今ニュースで耳にする【水害】のお話だ。
相手は自然
まずは自然を相手にしている以上、水害を完全に根絶することはできないという事実を受け止め、少しでも被害を減らすために何を選択するかを河川管理者だけでなく流域の住民も含めて話し合うことが必要だ。
誰かを悪者にしてしまう
これがないと治水が失敗した時に【誰々が悪い】→裁判になる という考え方になる。しかしそもそも相手は自然なのでどれだけ、計画しても災害は起こり得る前提にたつと【どこまで許容できうるか】という話になる。
限界点の共有
肝になるのは治水への提案で【限界点の共有】が江戸時代までは行われていたという部分だ。これは治水に限らず物事を一定以上の集団で決める時に有効な考え方だ。
多種多様な価値観があるので、全ての人にとってベストな選択は集団ではほぼあり得ない。
互いの限界点を話し合いで見つける
河川の話に戻すと、河川の上流と下流では当然下流のほうが多きな水害は起こりやすいが、それを防ぐには上流での治水が必要だ。
その工事は上流の人々には直接関係の無い話だが、地域全体を考えると間接的に関係してくる。
そのための話合いは江戸時代までは行われていたようだ。
たとえば河川下流に住む方々が河川上流に住む方々へ工事をしてもらう御礼に農作物を融通して工事をさせてもらっていたり、別の形で御礼を続けたうえで、工事をしている。
これくらい融通してくれるなら納得まではいかなくても許容できる点がある。それを共有するのだ。
それを【限界点の共有】という。
谷先生は【水文学】の専門家だそうで、聞きなれない学問だが動画内では「1000年単位での治水の在り方や地域社会との関わりなど、多岐にわたる視野からの考察する学問」と説明されておりアメリカでは治水の専門は水文学が担っているそうです。
地域社会に活かせる
あえてこのblogで紹介したのは、ここでも対話の重要性が出てきたからです。
当院でもオープンダイアローグの可能性を模索しているところです。
健康を考えていると、地域社会の健全性や発展、安定性などが環境側の問題点で上がってきます。自分でできる身の回りのことから少しずつ紐解いていこうと思います。