魂の航海
先日減薬に関する知識を得るために参加させていただいた全国オルタナティブ協議会で、ご紹介いただいた本を漸く読むことができました。
イタリアは精神病院を廃絶した唯一の国なのだそうですが、そこに至る過程、背景、価値観など松島健氏が詳細にレポートをしてくださっています。
私のつたない文章では、どこまで伝わるかは解りませんが非常に面白い内容なので、このブログでも紹介していこうとおもいます。
ご興味のある方は是非手にとってお読みいただくことをお勧めします。
今回のタイトルである「イタリアには精神病院がないそうです」。ですが、1978年に国会で国立病院からの精神病棟撤廃を決めて、順次減らしていき2001年に国公立の病院からは完全撤廃したようです
日本では2年ほど前から「うつ病」が国民病という形に国が定めましたが、イタリアに「うつ病」や「統合失調症」はないのか?
クライシスセンターが代わりにある
病は人に何を伝えようとしていうるのか?人生の危機で人はクライシスコールという形で周り訴える。そういった危機に瀕した人を国民保険サービスで受け止め地域で暖かく見守るという形にしたそうです。
人間は将来の絶望感や、今の生活が崩れる時、彼女に振られたときなど本人が「人生の危機」だと感じたときに出る正常な反応だと各種精神疾患を捉えているのです。
私はイタリアに行ったことはありませんので、イメージでのお話しになるのですが、人が生き生きしていてカラフル、そしてカウンタックは壊れやすいといったところでしょうか。
少なくとも旅先で出会ったイタリア人を思い出すと、日本人より表情豊かで生き生きしていたのを思い出します。
精神病院は非人間的
私は精神病院に足を踏み入れたことはないのですが、聞くところによると、あまり良いところではない。
「収容する施設」という印象だとか。
プシコナウティカでは人類学的立場から、社会の通常の規範から逸脱する振る舞いをする人に対して「隔離」という方法をとってきたと説く。
医学、医療という仮面を冠った「収容施設」は時として刑務所よりも過酷な現場になるといいます。
人間が生きる、生きる感覚、ということをイタリア人は大切にするという。効率性よりも、○○をしている感覚を大切にしている。確かに記憶の中のイタリア人はいきいきしている。
「あ~生きてるなぁ」という感覚が少ない日本人は「うつ病」が国民的な疾患の一つに。
人類学という観点から書かれたこのレポートは、私がカイロプラクティックを学ぶに至った経験の中で共感する部分が多く、しかも学術的に示してくださっているので少しずつブログでご紹介させていただければと思います。
精神病は病気ではなく、医学がそれを病気という形にした ということです。
このプシコナウティカ、聞きなれない言葉ですが「魂の航海」という意味なのだそうです。