椎間板変性や変形性関節症は単なる加齢現象?
過度の医療化という言葉があります。読んで字のごとく医療が行き過ぎて弊害があるということです。
腰痛に関して過度の医療化が起きているかもしれません。腰痛に関しては下記のような論文があるようです。問題は腰が弱いとか、壊れている という考え方です。実際には腰はとても強い組織です。
腰痛の根拠は損傷ではないのか
重要なポイントは『ただ痛みを出しているだけ』。
【診断には根拠がないですよ という内容の研究】
腰痛には労災補償証明書に用いる適当な分類が存在しない。椎間板変性や変形性関節症は単なる加齢変化に過ぎず、根拠のない診断分類(特に損傷という語)が腰痛による活動障害を慢性化している。
捻挫や挫傷を含む不正確な診断分類が、腰痛のメディカライゼーション(医療化:以前は医療の対象ではなかった身体の状態を疾病とみなすこと)に関与していると多くの研究者は考えています。
2021年にこの記事を加筆修正しています。既に腰痛は医療化されていますし、私自身カイロプラクティックという職業で腰痛に携わる仕事をしているので重要な指摘だと感じています。機能性を高めていけば腰痛から解放されていくからです。
極力患者さんに腰痛の無い生活を送ってもらう努力は惜しんでいませんが、一旦起こった医療化は簡単には戻せません。何が言いたいかというと、レントゲンやMRIなどで構造的欠陥が指摘されていると回復が難しいことが多いのです。腰に限った話ではありません。
この医療化はその後もさまざまなところで議論が巻き起こっており、現在では医療化自体は容認する必要があり、過剰な医療化とのライン引きをするところに議論が集まっています。
医療化のメリット、デメリット
医学の拡大に対する批判は、社会的統制の手段として認識されてきた。一部の社会学者や生命倫理学者(Broom and Woodward ; Parens)らは、医療化の肯定的な側面も評価し始めた。
過度の医療化のリスクは
①薬の副作用
②公私の資金の無駄
③病気の状態への個人的非難、自由の制限
④患者の背景にある社会的因子(DV、貧困などによる人格障害)を無視してしまい病気だとしてしまう。医療化のメリット例
Kaczmarek E. How to distinguish medicalization from over-medicalization? Med Health Care Philos. 2019 Mar;22(1):119-128. doi: 10.1007/s11019-018-9850-1. PMID: 29951940; PMCID: PMC6394498.
①悪魔祓いのような意味不明なことより根拠のある精神医療にかかれる
②病気休暇、公的な医療費の利用など
③自分だけが苦しんでいるのではないという『脱タブー化』
④精神障碍者の限られた刑事責任や患者を罰する代わりに、公衆の健康意識を高め、特定の行動の医学的根拠を認識し、治療を開始できる
この論文によると、さまざまな疾患が医療化だと言います。以下の表が可能性として挙げられている疾患です。しかしメリットもあるのも判ります。各コミュニティでどう考えるべきかを日常的な話題にしていきたいですよね。
過度の医療化が危惧される疾患
① | ② | ③ | ④ | |
アルコール依存症 | √ | √ | – | √ |
拒食症 | √ | √ | – | √ |
男性型脱毛症(MPHL) | √ | – | √ | – |
長期悲嘆障害(PGD) | √ | – | – | – |
小陰唇形成術の適応としての非対称陰唇 | ? | – | – | – |
軽度の注意欠陥多動性障害(ADHD) | ? | – | – | – |
軽度のむずむず脚症候群(RLS) | ? | – | – | – |
性的欲求低下障害(HSDD) | ? | – | – | – |
同性愛 |
さて各個人もそうですが、社会がどのようなところでライン引きするかによってきます。勿論医療資源との兼ね合いになるでしょうが、パレンスによると2013年にこのように言っているそうです。
私自身禿げていますが気にしていないです。また以前はアルコールを毎日摂取していて「自分の落ち度」だと考えていましたが、実はそうではないことに気づきお酒の無い生活を送っています。またADHDの傾向もあるけれども私自身は病気だと考えず「個性、特徴」だと思っています。性的欲求低下も自然に起きていますし気にしていないです。むしろそのほうが生きていて楽。
エリック・パンレスの言葉
…医学は苦しみを減らすために個人の体を変えることに焦点を合わせているので、その影響の増大は、そもそもそのような苦しみを生み出す可能性のある社会構造と期待を変えることから注意と資源を奪います。
たとえば、恥ずかしがり屋の人の体を麻薬で変えるのではなく、新しい状況で人々がどのように行動するかについての期待を変えることができるという考えです。
繰り返しますが、そうすることは、自然の変化を確認することを学ぶことの美徳を例示するでしょう。さらに、社会的期待の変化は個人にとってより公平であり、支配的な規範によりよく適合するように身体を変える代わりに、彼らの規範に挑戦する変化で再び確認することができます
医療化の良い形態と悪い形態について – PubMed (nih.gov)
なんという哲学的なお言葉。
パレンスの言葉からすると、腰痛ケアで考えれば『腰自体は壊れていないという認識、つまり社会の側が腰痛ケアへの期待が変化した』ことがここ10年で劇的に変わった部分です。
例えばファシアだとか筋膜だとか、脳の問題だという論調が頻繁にメディアに出てきたからです。
腰痛からも社会問題を考えることができる良い例だとおもいます。あとは腰痛を抱えていらっしゃる方がおのおの乗り越えたほうが良いであろう問題です。
これを機に各個人が考えてみよう
男性型脱毛症や性的欲求低下障害は私もドキッとする題目ではありますが、私自身は病気だとは考えていませんが、TVコマーシャルなんか見てると「病気扱い」なのが気になります。
つまり社会はそれらを医療化する方向性で動いています。
女性で小陰唇形成術の適応としての非対称陰唇を病気だと思うのか?ちょっと気になるが、結果的に人々が幸せを感じられれば、それは病気なのかなあ。
少なくとも今、私はそれらを病気だとするのは、過度の医療化だろう、だって医療資源は既に足りてないぜ!という立場です。